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ジグソーパズルのひとかけら
[0].
頭重感&首の後ろの痛み、眼の霞みが、酷い。
天に対し自分の心に恥じる事無く、不器用に、もう少しだけ生きて居たい。
判って貰えて居るのか判らないが、
基本、私は何かを自分の思い通りにしようとした事は無く、その気持ちも無い。
今は、若い此れからの人達の思う様に任せて居た方が段取りも速い。
時々、心配性の私には速過ぎて共通理解も根回しも其の状態で大丈夫なのかと不安になるが、
立ち位置や価値観は夫々なので、「そんな考え方をする人も居るんだなー」と、
訊かれない限り此方からは口を出さない。
唯一、
「卑怯、出鱈目、ルール無視、横着、自己陶酔、我田引水、私利私欲、学校の玩具化」
な学校現場は個人的に反吐が出る程度に性に合わない。
特にこの1年と3カ月の様々な事例に、
完全に冷めて吹っ切れて、何の執着も無くなってしまったので、
遅くとも今年度末迄には、完全に見限る事にした。
次の章へ移るべく少しずつ荷物を纏めて居る。
後の事に興味を残さぬ様に、全方位から嫌われつつ何時の間にか居なくなる予定。
若い此れからの人が頑張って下さい。
触媒らしく肩書も変わらず情報系の実習助手として学校現場で35年間余り、
『少しでも、(各勤務校は自分達が横着する事しか考えて居ないので)
県の学校現場の為に、県の教育の為に、
生徒の気付きと学びの為に、
似非教諭が横着する為の対症的な「穴埋め」では無く、根治的で発展的な「拡張」
の為に、
「情報II」を推し進め「情報I」の裾野を広げる
為に』との強い思いで奈落で頑張って来たが、
私には35年前から全ての勤務校で変わらぬ本質的な部分で答が出ている物凄く簡単な話。
学校現場がブラックである根本的な原因はただ1つ、教諭です。
吉良先生(*1)、何とかして下さい。
→[4][6]
[1].
令和6年度能登半島地震に被災された全ての皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
また、ネット上での自己顕示もせず、
真摯に救援、救護、復旧に当たっていらっしゃる全ての皆様に、心より敬意を表します。
未だ未だ復興には問題が山積して居り、綺麗事に包まれた人の欲が複雑に絡んだヨノナカの思惑で簡単では無く、
人心を煽り利益を掠め取ろうとする輩も多いですが、
上から押し付け目線の「支援」とか、興味本位で自己陶酔な「寄り添う」とかでは無く、
一歩ずつ、「皆で」「お互いに」「一緒に」頑張りましょう。
[2].
何が事実か。何が嘘か。何故それは嘘なのか。何故其処に嘘が生じ存在するのか。虚構か否か。
嘘と見做すものの排除では無く、其処に嘘が存在するという事実。
一つの好都合な要因の陰に隠蔽される幾つもの多角的な要因と触媒。
ヨノナカに数多散らばるカテゴリやバズワードにすり替えられた
一人ひとりの人間の私利私欲のジグソーパズルを丹念に嵌める事で、
其処から見えて来る、幾つかの未来。
重要な事は、其の後に起きる事の俯瞰的な想像力。
自分の思惑や目先の利害しか見えて居ないと、最終的に此れを見誤る。
地球はヒトの自己満足の為に廻っては居ない。
太陽はヒトを中心に廻って(天動説)居ない。
例えばヒトが居なくとも、それでも地球は、その時の環境に適合した夥しい種の生物を載せ、
自然の法則に従って、自転しながら太陽の周りを平然と廻っている。
[3].
四半世紀以上の時間を掛けて大きな変革を続けて来た社会で
既に小中学校で自律的&協働的な授業の評価を受け、
画像・動画の編集やプレゼンテーション、Scratch等のプログラミングを経験して来た生徒達と、
時の流れを止め「変わらない」夢を見たがって居る(*2)
高校の教育現場との厚い壁。
私は、
変わらない「夢」を時流の中に求める(*3)。
例え
「おじいさんのランプ」が「電球」「蛍光灯」「LED」に変わっても(*4)、
「灯す」夢は変わらない。
近年は現場の雰囲気が変わりつつ有り、
若いこれからの教諭達が試行錯誤しながら頑張っているのを眺めて居ると、密かに嬉しかったりする。
安易に流されず、各々の歩幅で一歩ずつ、
頑張れ、かつて私と一緒に取り組んだ、私よりは若い先生達!
そして、若いこれからの先生達!
[4].
2月から全国各地で話題のDXハイスクール、
此れは次の学習指導要領の改訂に向けて情報IIの設置校を増やし強化する事が目的の一つと私は捉えて居り、
実際にそうなれば良いと願う。
学校現場で上手く機能すれば面白いだろう。
当然カリキュラムの変更など影響も大きいから計画案を短期間で纏めるのが大変な学校も在るだろうが、
だからと言って、実際の教育現場が入試を含めキチンと機能せず、
「ど~せ経済効果だろ~」とか訳知り顔で宣い、そのカネで自分の玩具欲しさだけで、
結果的に嘘っ八の報告書で情報II自体が「したつもり」化するのは避けて欲しい
(過去に何度も有る、から現在の状況が有る)。
同時に、その言訳に使われない為に、大学側の入学後の対応などもキチンとして欲しい。
学びは高校が始点でも終点でも無く、産まれた時から始まり、更に大学や社会など外へ、その先へ生涯を掛けて続くもの。
今、全国彼方此方で、小中高大の連携プロジェクトが動き始めて居るのもその流れの一つ。
例えば教科「情報」は1986年に中央教育審議会第1次答申、2003年に開始して既に約20年。
中学生の過半数が何らかのプログラムを体験して居るヨノナカで、
今もなお全国の学校現場で日常の当然となって続いている、高校の内だけで隠蔽された、
『「
単位未履修問題(*5)
や
商業科の代替科目問題(*6)、
無免許の助手に授業をさせて置けば良い、どーせ」的な発想の意識』
の悪夢はもう勘弁。
決して否定では無く、学校は主旨や目的をすり替えず責任を持って次の改訂迄に機能する体制を作ってね、と言う話。
因みに、「情報は入試の為に学ぶものでは無い」という主張は将にその通りで、
私は情報に限らず国語でも英語でも数学や理科でも全ての教科がそうであると考えて居ります。
同様に「情報を入試科目にすべきなのか」という20年前から頭が停止している今更な呆けた主張は無視させて頂きます。
大学入試制度全体の議論をしたいのであれば別だが、そうで無ければ、これは現場の意識の問題。
結局は教諭自身の「進学」と「資格」による評価しか頭に無い。
今更、他の諸々に屁理屈で責任転嫁しても空しいだけ。
(高校の入試科目に無いから)高校入学時に差が有り過ぎる、と主張するのなら、
それは、情報科目の入試を高校でも実施すべきだ、という主張なのだろうか。反対はしないけど。
それ以前に、中長期的なビジョンも具体的な構想も何も無く既にグダグダで崩壊寸前の学校も良く知って居る。
「其れって楽しいの?」「3時間で飽きた」では無くて、
「生徒の気付きや学び」の為に(目的)、
其れを使って如何に「面白がらせ、興味を持たせるか」(演出)だと思うんだが、
其の意識は無いらしい。
元よりビジョンも構想も無いから、
あわよくば他校の企画に擦り寄って「オンブにダッコ」でやったことにして楽しようとしているのは、
もうバレている。
後になって埃を被らせ「買ってみたけど面白く無い」「此れを買ったのは自分では無い」「生徒ガー」
と責任転嫁するのは過去の事例から明白。近寄りたくは無い。
教育現場の教諭の無意識な心理を考える上で私が非常に興味深いのは、
私を「指導力が無い」と採用試験で不合格にしておきながら、実習助手として採用されれば、
最初から授業をする気が更々無い教諭と私とを
TT
にしたり、
時には知識も授業力も指導力もモラルさえも無い何処かのオッサンに教科「情報」の
臨時免許
を渡したり、で、
TTの教諭達は、授業に来ない、部活動に来ない、何もしない、何も出来ない、
自分達が出来ない不都合や自分達の為のインチキ出鱈目は全て助手の責任に、
「休日も盆正月も休むな」「手当は無い」「理不尽もソフトのコピーも逆らえば助手なんざ不適格で直ぐにクビ!」で、
其の成果を横取りし、自分達はゲーム三昧でヌクヌクと模範教諭、管理職、定年退職へ、
という傲慢でナルシシズムな特権意識の心理が、
大昔も昔も今現在も
経験した全ての勤務校に於いて、酷く差別的なマウンティングとして組織的に日常の言葉や所作の端々に感じられること。
私は授業をしたくない訳では無い。生徒が単位未履修となるのが可哀相なだけ
。
自分も頑張って授業をしようとせず、不都合は「助手が勝手にしたこと」と知らぬ顔をし、
只管管理職と狎れ合い甘い汁を吸う教諭に呆れているだけ。
指導力が無いという私を教諭にしろなんて言って居ない。
日本の教育の形骸化を食い止める為に、都合の良い働き方改革で騒ぐ前に、先ず似非教諭達が辞めて下さい
。
その実態のほんの一部は、別の処に書いて有るし、此れからも書く。
[5].
教諭がアレしたコレしたコレ書いた、と得意満面にひけらかすのも啓蒙活動としては別に良いけれど、
アレしたコレしたコレ書いた其の結果、
生徒や先生が実際に具体的に何処がどの様に変わったか、変わらなかったか、
それは何故か、次はどうすれば良いか、に私は興味が有る。
でも多くの現状は、大昔からの、学校や教諭の利害と自己満足だけの成果発表会と何も変わって居ない。
そして、昔一時期全商の生徒発表会がミュージカルだらけになった程度に、その意識はもう変わりそうも無い。
[6].
旧い船を今動かすのは旧い水夫では無い(*7)。
教諭が、大昔も昔も、そして現在も、教科「情報」の授業で、
『無免許の実習助手に必須科目の「情報Ⅰ」授業を押し付け
本当は生徒は単位無しでも書類で誤魔化し平然として居ても』、
『一年間Excel3級の説明を生徒全員が誰一人として聴いて居らず何をして居ようが知らぬ顔して
教師機のCRTを睨み付けながらブツブツ続けて居るとか(「付いて来れず遊んで居る生徒が悪い」らしい)、
50分の授業をコントロール出来ず(する気も無く)大部分の時間がほったらかしの「楽しい授業」、
寝て居ても騒いで居てもGIGA端末やスマホで遊んで居ても「注意はしないが点数は引く」と
生徒に言う(実際は点数を引いて居ない)とかの、授業をした事にして、
「生徒の気付きや学びの場」では無く「生徒に気紛れ気分でABC評価を付ける事」が目的の授業』でも、
『一年間何の説明もせず只管教科書をWordに入力するだけ』でも、
『文書実務検定の速度が12分』でも、
『提出物が誰かの提出物の名前を変えたコピーだらけでも見て見ぬ振り』でも、
授業では何の説明もせず考査対策プリントと称する試験問題と答が事前に乱れ飛んでも
(=選択肢の記号や文言を暗記するだけ)、
セキュリティが出鱈目でも、
そして『「情報の授業なんてどーせ意味が無い!」と他教科の教諭に嘆き開き直って見せ、
他教科の教諭に同情を促し、お互いに狎れ合って進級』でも、
『「校内全体の情報共有に基く明確な適材適所」よりも「一部の仲良し倶楽部の都合と私利私欲」「膨大な暗黙の強制」
「1960チリ地震津波現象(*8)の陰湿な進化形」』でも、
『会議の決定事項の各自の意識がバラバラで全然機能して居ない』でも、
そんなこんなで校内の段取りが滅茶苦茶、支離滅裂でも、
其れが教育、学校現場だという共通理解、風潮なら、もう好きにすれば宜しい(全て過去の実体験)。
例えばヒトが居なくとも、それでも地球は、その時の環境に適合した夥しい種の生物を載せ、
自然の法則に従って、自転しながら太陽の周りを平然と廻っている、事と同程度に、
学校現場は、その時の各々の「環境に適合」した教諭を載せ、動いて居るだろう。
其れは各学校現場の勝手なのだが、
生徒達の50分間学習指導要領に基いた授業を受ける権利を剥奪し、
生徒達を自分の捏造した成果発表や自己陶酔の為の玩具の様に扱って弄び、
我欲と私情と能天気に私物化している、
形骸化した学校現場には、生徒が可哀想で胸が張り裂けそうで、
私には全く性が合わない。
[7].
'96年2月7日にサイトを開いてから、'23年6月24日で 10,000日目。
そして、'24年2月7日、28周年記念日。29年目へ。
これもまた、次へ向けての一つのフェーズなのだろうか?
このサイトを開いて以降、
chips-ml, 全商協会, 東海Schoolnet研究会, Project-C, e2-Project,
New Education EXPO, D-Project, 大阪私学教育情報化研究会,
World Youth Meeting / Asian Student Exchange Program,
高校生熟議 - 高校生 ICT Conference, 全高情研,
他にも様々な繋がりでお会い出来た、
教科や生徒と真剣に向き合い、生徒の「気付き」や「学び」と言う
明確な目的の為の様々な手法という『金棒』を使いこなし、
50分という時間の授業・単元・教科の構成と演出や評価、そして学校という場所に
誇りと責任を持つ教育現場の『鬼』の皆様に対し、
心より尊敬と感謝。そして、勿論、私の家族にも。
勤務県で、臨任常勤講師(国語/マイコン部)→常勤実習助手(情報処理/情報)→再任用常勤実習助手→臨任常勤実習助手。
教育現場で、ICT教育の先発選手の一人、教諭間の触媒として動いて来た心算は有る。
幾つかの関わっているローカルな組織の中で、私は前に出ず、嫌われながら、独り隠密に、
横からアッチ突ついて、後からコッチ突ついて、舞台裏でアレして、舞台袖でコレして、
奈落で迫り上げて舞台廻して、など、
サポート、アシスト、フォローなどして動いて居た。極一部にはバレたけど。まぁ、良いけどね。
正直、私が理事から外れた '15年以降の県情研の実態には困惑したが、
肩書だけで何もしない参加すらもしない様な単年度の理事達に対し、
この数年は、孤立している事務局の現状を見かねた何人もの有志 (私もその一人) が
別グループとして事務局と一緒に前向きに動いて居る。明らかに雰囲気が変わった。
私のお陰だと言う心算は全く無いし、実際に違う。皆が頑張ったから。
もう余計な手出しをするのは止めようと思い始めて居るので、
後は若い本人達がキチンと責任を持って組織の健全な活性化の為に頑張って下さい。
今の主力選手メンバーは君達だ。良くも悪くも。
私は、今年度も、ゴソゴソと、自分の肩書が変わる事も無く「触媒」に徹する事だけ考えて、
残り時間を過します。
このサイトの情報系のコンテンツについて、プログラミングとか、共通テストとか、データサイエンスとか、生成AIとか、
DXハイスクール、小中高大連携、遠隔サポート授業、其の他色々、など、
ネタは結構持って居るけれど、日常のモチベーションの方向性が持てなくて此の所ずっと放置状態で、
この際だからリニューアルしようか、全く新しくしようか、それともスッキリと終えようか。
取り敢えず、何度目かの大改造を、誰も気付かない程度に少しずつ作業していこうと思って居ります。
以前、出版関係のサイトを見て回った事が有る為か、
「あなたも出版しませんか」な広告がネットで良く出る様になった。
サービスの内容も多様化し、しかも安価。
利益が出るとは全く思わないが、二重帳簿とか訳判らん私的な領収書とかも含め、ネタは膨大に有るし、
この35年間の教育現場のろくでもない実態を含め、私が死ぬ迄には実現しているかも。
補足
- (*1)まんがで知る○○の学び シリーズ(前田康裕)
- (*2)(*3)世情(中島みゆき)
- (*4)おじいさんのランプ(新見南吉)
- (*5)正式には、高等学校必履修科目未履修問題。
Wikipedia
- (*6)情報も情報処理も各々の教科書を踏まえた内容の授業をキチンと行って居れば良いだけの話。
情報処理も情報もそうでは無いのは、学校や教諭の問題。
(*5)と根本は同じ。
- (*7)古い船を今動かすのは古い水夫ではないだろう(吉田拓郎)
- (*8)1960チリ地震津波現象:私が命名した事象。大昔より実際に過去に何度も経験済み。
その意識は近年は物凄く陰湿化し、現在も脈々と受け継がれて居る。
【過去の事例】
[1]校内で大きなプロジェクトが立ち上がり、各部署(各課、各学年、など)の担当者に仕事が割り振られる。→
[2]各部署の担当者が割り振られた仕様を自分の部署に都合が良く私利私欲満載に改変し、私一人に丸投げする
(本来私の仕事では無い)。→
[3]当然、各部署からの仕様を突き合わせると呆れる位全く整合性が無い。→
[4]各部署の担当者に伝えると、各々の部署の担当者が異口同音に
「俺の仕様でやれ。逆らえば助手なんざ不適格でクビだ」。
表向きは各部署の担当者が仕様に従い処理して居る事になって居るので、全体で調整しようという気は更々無い。