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Ryn.jp
ジグソーパズルのひとかけら
[30年目の所信表明]
[
序]
[
独言]
(8/29)
[
近況/今後のこと]
(8/29)
[
御礼]
[
附:平成版 実習助手のお仕事]
🌸
30年目の所信表明
(R7/2/7)
受動的な「楽しさ」「判り易さ」至上主義から、能動的な「愉しさ」「面白さ」の探究へと、
高校生達が、自律的に、気付き、関心を持ち、相互に思考のInput/Outputを重ね合い、
自分事、仲間事、社会事として、アクションを起こし、
振り返りから更に次へと繋げる、学びの演出を、皆で一緒に考えよう。
29年前の頃の様に。
生徒達の、其の気付きや学びが、各々の生徒にとっての、
其の時の、自己ベストになれば佳い。
其の為のGIGA。其の為のDX高校。其の手段としての、小-中-高-大、産-官-民の連携、国際協働。
其の為なら、私は、全国、台湾、何処へでも行くよ。
生徒達は、学校や教諭、会社、地域の為の玩具(手段)では無い。
「生徒」を主語にした文章を書くのは難しくないし、私は此れ迄にも山程読んだ。
しかし、大切な事は、
「試行錯誤の無い上膳据膳の
成功体験や、
学びの目的や次への気付きに繋がらない感傷的な
達成感、
受動的で一過性な
楽しかったね」
で誤魔化して終わらせない、
生徒の自律的な気付きや学び、アクション、振り返り、課題、次への過程を、全て時系列で明確にし、
生徒に対する学びの責任を持って具体的かつ論理的に説明している、その述語。
DX高校、情報Iから情報Ⅱへ、共通テスト、小中高大の連携、生成系AI。
次々と押し寄せ、太平の惰眠を貪る高校に対し
開国を迫る艦隊達(*2)。
例えば、情報科の
単位未履修問題(*3)
や、商業科の
代替科目問題(*4)
に象徴される、
『時の流れを止め「変わらない」夢を見たがる』高校の教育現場。
私は、『変わらない「夢」を時流の中に求める』。
例え「おじいさんのランプ」が「電球」「蛍光灯」「LED」に変わっても、「灯す」夢は変わらない。
井の中の殿様蛙が、全てに於いて、「言葉」が定義する本質を矮小化、形骸化させ、
遂に県教委から幾つも指導される程度の不正、出鱈目、済崩し、時には「認識の相違」と宣い、
粉飾に塗れた裸の王様然として、ヌクヌクと茹で蛙になるのを構って居る程の時間は、私にはもう無い。
私は、全国で本質に対して真摯に頑張って居られる方々への愚弄に加担する事は、
もう、精神的に堪えられない。
『旧い船を今動かすのは、旧い水夫では無い』。
学校現場を変えて行くのは、若い此れからの、あなたたちだ。
其の解は無数に有る。
決してネガティブでは無く、此れは、私からあなたへの、エールの心算。
あなたは、今、何を、どうしたいですか?
🌸 0.序
何が事実か。何が嘘か。「嘘だ」が嘘か。何故それは嘘なのか。
何故其処に嘘が生まれ存在するのか。虚構か否か。
嘘と見做すものの排除では無く、其処に嘘が存在するという事実。
或いは、一つの好都合な要因の陰に隠蔽される幾つもの多角的な要因と触媒。
新聞、ラジオ、TV、パソコン通信、SNS、そして生成系AI、
各々の特性に因ってヨノナカに数多散らばる好都合なカテゴリやバズワードにすり替えられた
一人ひとりの人間の私利私欲のジグソーパズルを丹念に嵌める事で、
其処から見えて来る、結果としての、幾つかの未来。
局所的&刹那的な断片では無く、立体的&時系列としての繋がり。
例えばヒトが居なくとも、それでも地球は、その時の環境に適合した夥しい種の生物を載せ、
自然の法則に従って、自転しながら太陽の周りを平然と廻っているだろう。
全国に数多散らばる各々の学校現場は、学習指導要領等と言った全体の共通理解の意識とは関係無く、
その時々の各々の「環境」と「利害」に適合した人達を載せ、動いて居るだろう。
そして、適合しない人達は、其処を見捨て、違う世界へ旅立つだろう。
🌸
Ⅰ.独言 (8/29)
[1].
教職免許(相当)が無くとも誰でも先生になれるなんて、
教育の内容の保証を放棄した国が先進国に有るのかどうか知らないが、其の根底に有るのは、
例えば、臨時免許に関する、此れ迄の出鱈目な
色々や、
特に、令和6年9~11月に最後の勤務校で起きた一連の
案件(*9)
などに見られる、
学校現場の、教育に対する社会的な責任の意識の無さ
(授業内容がどうでも、単位を認め卒業証書を渡せば其れで良し)と全く同じで、
私の初任からの実体験からすれば、其れで何かが変わる事も無く、現場が横着する時間が延長されるだけ。
幾つもの点で、ツッコミ処満載、私の個人的な感情からすれば、何を今更。
少なくとも、其れを「井戸の外の様々な立ち位置の人達」がどう思うか、
其の状態をどう都合良く利用しようとするか、は、
有るんじゃないか知らん。
現在の、縦割りな(相互の影響を考慮しない)対処療法が続けば、
今後、働き方改革に因る色々な縛りや、私立高校の授業料の完全無償化なども相まって、
学校の設備や学びの内容に因る学校間の偏差が、上下だけで無く、左右も含めて、
更に酷くだろうという予感は有る。
[2].
校務でも、授業での演出でも、何処迄を生成系AIにさせるのか
。
生成系AIは、基本、膨大な他人の言葉や、画像や、旋律の、機械的なパッチワークだと思って居て、
生成系AI自体は出典を無視して記憶を機械的に要約し出力して居るだけで、何も考えては居ない。
最近は、自己修正技術も研究され、其れが事実か否か、数理的な解が正しいか否か、は判断されつつ有る様だが、
例えば、正義か悪か、なんてのは人の数だけ有るので、其の辺りはプロンプトを書き重ねる人間側でどうにでも成り得る。
演劇の役者と似ている。
指導案も、授業も、考査も、採点や評価の基準も、
他人のモノを基に、其れを、如何に、どれだけ自分という人間のモノとして落とし込めるか
が、大切なんじゃないかと、漠然と思ったりしている、今日、この頃。
でなければ、新しいモノは生まれないし、「学校要らない」になるよ。マジで。
[3].対立軸の話(1)
大学生時代、言語学とか方言学とか民俗学とかに感けていた頃に知った話。
或る地域に住む人達には二人の英雄神が居り、片方が善い神、もう片方が悪い神として知られています。
しかし、この地域は南北に伸びる山脈によって東西に分断されており、
山脈の西側と東側とでは、善い神と悪い神の名前が入れ替わっています。
これは、大昔、西側の人達と東側の人達で争いが有って、各々が、各々の英雄だった為と考えられます。
その後、外部から研究者と称する人達が片側にやって来て調査を行い、
その研究者に便乗し様々な形の私利を得ようとした人達を巻き込んでその文化を発信したため、
片側の文化が、その地域全体の文化で有るかの様に、広められたのです。
情報源は、一方だけの根拠を唱える人達とその周囲の利害関係や感情論へのすり替えを見極め、
客観的に。エラそうなセンセイやマスコミが言うから正しい訳では無い、の一例。
例えば、この地域には川を指す語が2つ有って、色々な学者が色々な事を言って居るのだけれど、
机上では無く「実際に其処の地形を見なさいよ」と思う事が、時々有る。
マスコミって、GxTの昔から、野球に限らず、
深夜0時前や朝5時頃の短いニュース番組の中でほんの数分流した事を根拠に
「日本でもニュースになった!話題沸騰!!」とアピールしたり、
「SNSで騙されそうになったが公共放送で真実を知りました、信頼出来るのは公共放送です」な
お便りで満載だったり、
世界で起きている事象の片側だけの主張を、それが世界の正義であるかの様に流したり、など、
こういう印象操作が酷いな、と思って居るが、近年は、壊滅的。
SNSの情報が正しいか否かを確かめる事が物凄く大切である事と同程度に、
それ以上に影響力の有るマスメディアの情報が正しいのか否かを確かめる事も、物凄く大切。
[4].対立軸の話(2) (8/25 New)
ヨノナカは、自分の主張を正当化する為に、故意に、極端な対立軸を設定し、
時には関連性の無い幾つかの案件を一緒くたにして、
「自分の主張を否定する人は~」と相手を一方的にカテゴリ分けし、威圧的感情的に批判する事象が日常。
私は、基本、「肯定ペンギン」なので、
誰がどの様な理想であっても構わないし、其の人の理想を一方的に変えさせようとも思って居ない。
組合的な思想信条やコンプラ無視、学びの所在など、私の性分とは相容れないな、と思う事も多いが、
其の人との其のチャネルに関しては、 基本、お互いの立場から「発展的妥協点」を探るか、
それが成立しないなら割り切って、適度な距離を置くか、或いは、そっとして置く。
時には、
「あなたの主張は xor(判った, 解った) けど、コレコレな考え方をする人も居るから、気を付けた方が良いかもよ」と、
余計なお節介をする事も有る。
多様な立ち位置の人の「考え方の引き出し」が増えるのは面白かったりする。
大昔から定義が曖昧で面倒臭いな、と私が思う言葉の一つが「チョーク&トーク」。
この言葉を使う人は、二種類。一つは、文字通りのアナログな「チョーク&トーク」で、その対立軸は「教育のDX化」。
もう一つは、先生が一方的に生徒に話す状態の「チョーク&トーク」で、その対立軸は「生徒の主体的対話的な深い学び」。
いずれにしても、大切なのは、シラバスに基いて眼の前の生徒に学ばせたい内容に因る、
その相互の適材適所な補完の「バランス」であって、「何方か一方」では無いと、私は、思うんだ。
最近の北欧の話題も、結構バイアスが掛かって居たりするのよ。
似た様な事は、「探究」でも思う時が有る。
「探究する課題」を主眼に置くか。「探究する(課題を解決する)ノウハウ」を主眼に置くか。
私は、これも、テーマに因る、相互作用的な「バランス」なのだと思って居る。
[5].言葉の定義の話(1)
以下、根拠は無い、あくまでも個人の感想。
私が大昔から酔った勢いで「日本語もプログラムも、何方も『言語』だ!」と言うのは、
冗談では無くて、本当にそう思って居る。
例えば、古文の、尊敬語と謙譲語とか、未然形と已然形とかのアルゴリズムは面白いと思って居るし、漢文の文法も同じ。
「あはれ」と「をかし」や、「愉しい」と「楽しい」も。
文法や言葉を意識して文章の意味を読み取る、そんなトレーニングを多く積み重ねて来た人は、
今回の共通テストの情報Iの様な問題は、有利だったのか知らん、と思ったりする。
まぁ、高校の場合、国語は「文法」や「言葉の定義」より「文学」の要素が強いのだろうか。
[6].言葉の定義の話(2)
人間は、各々が意味を定義して居る言葉で思考、表現をする
(
言語と思考)。
今のヨノナカって、お互いに同じ
言葉を使い、
判り合った心算になり、安心して居るが、
実際は、人によって其の
言葉の定義が杜撰だから、
お互いに都合良く解釈しているだけで全然判り合って居らず、後になって
「認識の違い」「私はその心算では無かった」「遺憾砲」「最後は有耶無耶」な事が、物凄く多いよね。
商業系などは昔からだが、特に近年、教育現場での日本語が酷過ぎる。
試行錯誤は
STEM教育
の重要な要素だが、試行錯誤をしたからSTEM教育な訳では決して無く、
「寄り添う」ことは
インクルーシブ教育
の大切な要素だが、寄り添ったからインクルーシブ教育では無い。一事が万事。
各々の言葉の本質をすり替え、矮小化、形骸化し、大きな成果の様に
企画書や報告書を粉飾する事が常套化している。
曰く「話題性」「カネ」「どうせ、何処の学校でもやって居ること」「そうしなければ~」。
其れが、学校現場の信用の失墜、「学校無くとも良い」の声となる、悪循環。
[7].
例えば、誰がどんな本を出したとか、どんな発表をしたとか、
その時に何処の会社の何を使ったとか、それはそれで良いのだけれど、
私は、その事(本や実践)により、先生や生徒が実際に、
授業でどうだったのか、その後どの様に変わったのか、特に其々の
違い
に、物凄く興味関心が有る。其れとも、どれを使っても皆同じ?
その点に於いて、常にリフレクションを取り入れている「
吉良先生(*10)
」の動向に興味関心が有る。
🌸
Ⅱa.近況 (8/29)
今年の夏も、立命館大学BKC会場での「27th World Youth Meeting 2025」、
その拡張版となる、大阪関西万博シグネチャプログラム「EXPO 2025 Special "World Student Discussions"」、と、
7/30~8/7、関西圏を、各校でのメイキングやリハーサル、会場、戻ってエンディングまで、現地で動き回って居りました。
wymでは、一日目のプレゼンでは、其の内容の何れもが、「大人や組合の先生達が喜びそうな」とか「生成AIが要約して言いそうな」とかでは無い、
高校生達が試行錯誤した自分達の言葉によるアクションプランで、興味深い。
二日目、全体会で各々がプレゼンを発表した感想を発言し合い、BKC参加者全員で共有するセッションが、物凄く興味深い。
だからwymは、面白い。
Project-C の経緯を知って居る人には判って貰えて居ると思って居るけれど、
私が、この四半世紀、カメラを持って動き回って居るのは、単に、撮影して居るだけでは無いのよ。
今後も、高校生達の為に、触媒として舞台裏や奈落でゴソゴソと動き、
その内に何時の間にか、記録にも記憶にも残らず居なくなる所存で御座います。何卒宜しくお願い申し上げます。
R5~6年度で、当時の勤務校によって
止めを刺され、完全に崩壊させられた
(校長から強制的に無免許で授業をさせられ、定期健診の結果も無視され、何事も無かった様に退職した)精神状態も、
少しずつ修復されて来たかな、されて居るに違いない、うん、されて居る事にしよう、と、思う事にして居る、今日、この頃。
多くの皆様からの暖かいエールのお陰です。本当に有難う御座います。
此処迄生きて来れて良かったな。何か、新しい事、考えたいな。
冒頭の関係者には、個人的に、色々な手段で、適当に、
孫子の代まで、祟って置く事にする。
※ついでに書いて置くと、私があの数カ月にして居た「授業」は、
特定のアプリの特定のバージョンの操作方法の検定対策などでは無い、
どれもが、県外では、研究授業のネタになる程度に何処でも極く普通に行われている、内容。
生徒達が、少しでも、其処から先の何かを思って呉れて居たら、とても嬉しい。
🌸
Ⅱb.今後のこと (4/8)
『やってみせ 言っても聞かない しもしない 誉めてもしない 教諭は動かじ』
私自身の立ち位置の様々な影響や、老後の生活資金の無さなど、物凄く悩みましたが、
完全なる絶望感と死にたい程度のジレンマ、もう此れ以上に生徒に不利益になる事は堪えられない事により、
極めて不本意ながら、令和6年度で、退官致しました。
私は、この36年間、情報系実習助手として、学校現場一筋に、
例えば、日常の「授業」や、20年に亘る県商研の情報処理の作問委員、
或いは、World Youth Meeting、高校生 ICT Conference なども含め、
県のICT教育の先発中継ぎの一人として、少しでも県の高校生達の為に(教諭の為では無い)、という思いで、
奈落で動いて参りましたが、
歴代の学校現場は、相変わらず、自らは動こうとはせず、
横着、出鱈目、法令違反、不都合は責任転嫁、言葉の定義の矮小化、捏造、粉飾した成果発表、の日々。
特に、此の二年間(令和5~6年度)に亘る、
所信表明でも触れた様な学校現場の実態や、
度重なる酷い
嫌がらせ(*12)、
独言[1]でも触れた
案件(*9)、
言葉の定義を誤魔化し、大前提と目的を摩り替えながら安穏としている、井戸の中の教育現場を考えるとき、
過去を含む、幾つも重なるジレンマによる精神的苦痛など、
今も、真剣に死にたい程度に堪えられない毎日で居ります(現在進行形)。
学校側の、横着と私利私欲に塗れた価値観、倫理観による思惑がどうであれ、
各自の天動説な思惑で陰でヒソヒソと老害だと誹謗中傷される前に、
私の事で混乱を引き起こす前に、消えたい、という
私なりの引き際の価値観、倫理観も有ります。
R7年度からも、色々な事に取り組みたい、と、思って居ります。
此れ迄は言えなかった事も言える。クシャミされれば、何処でも行きます。
60歳定年の時に、或る人から提案された、教育系YouTube「Rynの、もっとICT!(仮題)」も、
(それで収益が出ると思えないし、
出そうとも思っては居ないが)
面白いだろうな。このサイトも、或る意味、そうだし。
大昔は、〇歳プログラマ定年説なんて話も有りましたが、リスタート、リスキリング。学び直しです。
追記
(R7/3/10)
私の36年間を知る、旧くからの仲間には判って貰えて居ると思って居るが、
今回、私が学校現場を見限った理由は、超多忙だからとか、パワハラ三昧だからとか、
組織として崩壊して居る天動説信者達の烏合の衆だから、とか、
教諭達の横着と自己顕示の為の、法令やガイドラインの無視、
不正、出鱈目、隠蔽、企画書と報告書の捏造・粉飾、不都合の全てを責任転嫁、などでは無い。
其れ等を其の理由とするならば、私は、
疾うの昔
に辞めている。
其の理由は、此れも大昔からだが近年は壊滅的に酷い、
学校現場の、
『「言葉」が定義する本質の矮小化、形骸化』、
『授業の大前提を横着な目的にすり替えた
めっちゃ楽しい授業(*6)や
判り易い授業(*7)』、
『「自分の正義への無関心や反論は人として有り得ない」、多様性の無い思想洗脳授業』、など、
生徒を利用し、我欲に酔い痴れるばかりで、私には、其れをアシストする魅力も遣り甲斐も全く感じないから。
仕事の内容では無く、スジを通さない(スジさえ無い)滅茶苦茶な日常が堪え切れない。
近年の、年毎に酷くなる、「学校要らない」の大合唱も、教諭の優秀な成り手が居ないのも、
井戸の中は、「自分達は悪くない」と学校以外の要因にすり替えようとしているが、
真相は、現場のそんな実態が井戸の外に知れ渡ったからで無いのかな、と確信して居る。
此方がやって見せても自分達は関わろうとせず
「(パワハラに)逆らえば不適格でクビ!代わりなんて幾らでも居る」と横着していた『模範』教諭達が
「代わり」が居なくなり、自分達が横着した分だけ学校現場に時代の流れに対応する力も無く、漂流して居る、
誰の所為でも無い、自業自得なだけ。
今年(R7年)2月下旬に、昨年8月の健康診断の医師との最終面談が有った。
特に、一昨年8月に酷く悪化した数値から今回更に急激に悪化した結果に対し、
「此れ、入院するレベルだからね、何時死んでも可笑しく無いからね」と、
再度、念を押された様な気がするが、其れは自分で調べて充分に判って居るし、
だから?どうしろと?だし、
勤務校は昨年12月に心の中で完全に「見限った」ので、黙って聴いて置いた。
此れ迄は言訳にしたく無くて言わなかった、今年度当初の前述を含む健康上のお願いも、全て済し崩しに反故にされ、
例え入院しても、陰で何を誹謗中傷されるか、判ったものでは無い。
昨年9月の嬉々とした笑い声が頭を離れず、この半年は、死んだ方が楽だろうな、と思って居た。
今は、もう少しは生きて、校内で、県内で、全国で、頑張って居る若い此れからの人達を、
何処かでゴソゴソ
(*8)
と、観て居たい、という気もする。
更に追記
(R7.4.2)
何人もの方に、健康の心配を頂き、本当に有難う御座います。
子供の頃から、人間、死ぬ時は死んで、天国も地獄も無く、存在が無になるのだろうと思って居ります。
何にでも病名を付けたがるヨノナカですが、
私の場合は、特に、自律神経系と複数の消化器系に気を付けながら、多病息災で暮らします。
もう既に殆ど精神的に「無」ですが、もう少し、宜しくお願い申し上げます。
(R7.4.8)
次の担当者には、延べ4~5時間ほど掛けて引継ぎをし、念の為に連絡先も知らせて置いたが、
作業内容については経験が有る様で「判った」と言って居るし、
その後、何の連絡も無いので安心している。
新年度が動き出して以降は、
個人的には昨年以上に不可解な新しい体制の内で適宜相談して、
思う様に、好きな様に、仕事をして呉れ。
私としては、(御題目ばかりで)其の本質を矮小化、形骸化、私欲に摩り替えた
今の教育現場の現実に絶望して居るだけで、リベンジ退職では無い。
🌸
Ⅲ.御礼
このサイトも、満29年を迎える事が出来ました。30年目へ入ります。
取り敢えず、特にこの2年間で精神的に取っ散らかった状態を元に戻し、
4月以降は、纏った時間を見付け乍ら、令和9年頃を目処に、
白鳥座の内部構造の大掛かりな改修を行います。
時折、私のレスポンスが悪かったり、サーバがダウンして居たり、私がダウンして居たり、
するかも知れませんが、何卒、ご容赦を。
また、令和7年となり、お陰様で、私も67になりました。
私自身が、皆様から、多くの事を、気付かせて、学ばせて、頂きました。
有難いです。本当に有難う御座います。
県の学校現場に拘り情報系実習助手という立ち位置で36年間、情報教育の裾野を広げる為に、
此れ迄に巡り会う事が出来た、一緒に何かを創る事が出来た、助けて頂いた、私を生かさせて頂いた、
全ての皆様に、大感謝です。
正直、生まれつきの体質も有って、この歳に成る迄生きて居るとは想像して居ませんでしたが、
生きて来られて良かったと、今は、思えて居ります。
『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は育たず』
今後も、多病息災を意識して、情報教育の触媒として、日々のルーティンを粛々と、
何処かでゴソゴソ
(*8)
と動く所存で御座います。
其の内に、記録にも記憶にも残らずに消え去る迄、もう少しだけ、宜しくお願い申し上げます。
『やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず』
令和の章になり、校内で、県内で、全国で、若い此れからの先生方が自ら試行錯誤しながら頑張っている様子が、
密かに、嬉しい。
私は、余り深刻に考えず、楽観的に、前向きに、迷惑にならぬ程度に頑張らず、
長年、日常を支えて貰って居るカミさんにも最大限に感謝して、
少しずつ、自分自身のリカバリを行って参ります。
🌸
Ⅳ.補足・蛇足
- (*1)
元々、身内や地域などの利害関係者だけの生徒成果発表会では、
発表は、工夫した点や試行錯誤の過程などは無く、
流行りのテーマで、やりました!出来ました!達成感!凄いでしょ!だけで終わる事が多い
(勿論そうで無いのも有る)が、某会で、或る年に、其れに加えて、
『A「私達はぁ!」全員「私達はぁ!」B「○○しました!」全員「○○しました!」』的な
演出の発表が全国優勝をしたところ、翌年の発表が同様のものばかりになった。
流石に批判が出て、無くなったが、
過程に対する意識が無く、感動的な演出を最重視する一例。
過程の実情は、教諭同士、お互いに大変だねぇ、言わない、訊かない、井の中の馴れ合い、なのか知らん。
研究会や学会での教諭による発表でも、良く有る(勿論そうで無いのも有る)。
- (*2)
共通テストやDX高校、小中高大連携は、
次の学習指導要領の改訂に向けて情報IIの設置校を増やし強化する事が目的の一つと私は捉えて居り、
実際にそうなれば良いと願う。
情報科として採用された教諭も数は増えている様だ。学校現場で上手く機能すれば面白いだろう。
同時に、高校の横着の言訳に使われない為に、大学側の入試対策や入学後の対応などもキチンとして欲しい。
(卒業後が進学でも就職でも)
学びは高校が始点でも終点でも無い。
例えば教科「情報」は1986年に中央教育審議会第1次答申、2003年に開始して既に約20年。
中学生の過半数が何らかのプログラミングを体験して居るヨノナカで、高校が横着を貪る悪夢はもう勘弁。
決して否定では無く、高校は主旨や目的をすり替えず、スタンドプレイや横着では無く、
小中高大、産官学で連携し、責任を持って、次の改訂迄に、生徒が自分のライフプランを描ける様な、
機能する体制を作ってね、と言う話。
因みに、「情報は入試の為に学ぶものでは無い」という主張は将にその通りで、
私は情報に限らず
国語でも英語でも数学や理科でも全ての教科がそうである
と考えて居ります。
同様に「情報を入試科目にすべきなのか」という20年前から頭が停止している今更な呆けた主張は無視させて頂きます。
大学入試制度全体の議論をしたいのであれば別だが、そうで無ければ、これは教育現場の意識の問題。
今更、他の諸々に屁理屈で責任転嫁しても空しいだけ。
(高校の入試科目に無いから)高校入学時に差が有り過ぎる、と主張するのなら、
それは、情報科目の入試を高校でも実施すべきだ、という主張なのだろうか。反対はしないけど。
- (*3)
正式には、高等学校必履修科目未履修問題。
Wikipedia
其れ以前から他教科でも有ったのだが、此の場合は、
『「情報」という何だか訳判らん教科が出来たけれど、教えるの面倒だし、進路に関係しないし、
実際は進学に関係する教科を教えよう、それが生徒の為だ』という学校が全国的に多く、
社会問題になった。問題が発覚後は、(*4)へ変化するが、
教諭の横着により、「ど~せ情報なんて~」「PCで適当に何かを描かせればSTEAM」
「ゲームで楽しく遊べばDX」の風潮が作られ、
日本の情報技術教育の裾野が広がる事無く、世界からどんどん落ち毀れ、
世界の情報技術の発展と共に其の人材が不足し、日本の情報産業が衰退した。
其処へAIが登場したものだから、教諭は大混乱。
生徒の事よりも自分の既得権益を守る為に必死(何時もの事だが)。
- (*4)
商業科「情報処理」が情報Iの代替科目になっている件。
情報処理も情報も、各々の教科書を踏まえた内容の授業をキチンと行って居れば良いだけの話。
其れが、商業科の情報処理は
全商検定合格テク一辺倒
だったり、情報は一年間何の説明もせず只管教科書をWordで入力するだけだったり、
もっと酷かったり、と、両方とも学習指導要領と全く違うのは、個々の教諭も有るけれど、
学校現場全体の欲と安易な横着の問題。
近年は、情報Iは(*2)の関係で横着がし難くなって来て居るが、
情報処理は全商検定に拘る余り、共通テストとの不一致が浮き彫りになって居る。
教科担任は生徒にとって自分の教科「情報」に対する評価をされる存在。
歴代似非学校現場、雁首揃えて、責任を取れ!
- (*5)
「生徒の為だ」「学校の為だ」と言いながら、
実際は、自分達が出来ない検定や授業の指導や、面倒な雑用、
ソフトウェアのコピーやガイドライン無視などの不正行為、
自分が粉飾捏造した計画書や報告書を「実施したこと」にする為の様々なインチキ、出鱈目を、
管理職→教諭達→私と、「1960チリ地震津波」的に、「不適格でクビ」をチラつかせて強制し、
自分達は手を汚さずヌクヌクとして模範教諭に居る事の、
何処に私が「遣り甲斐」を感じると思われているのか信じられないし、
そんな、犯罪に加担する事に、私は「遣り甲斐」なんて全く感じない。
- (*6)
毎時限が、単位の履修条件(時間数)の為の、何の気付きも思考も学びも無い、
50分間の、単純作業、教科書の模写、生徒個々の理解度や行動(雑談、嬌声、睡眠、其の他)に対する完全な放置、
自分の不手際による公平性の欠如の隠蔽、依怙贔屓。
更に、大音量の娯楽映画など、アミューズメントパーク、シネコン的な時間潰し。
此れをどうアシストしろと?
- (*7)
単位修得の条件(成績)や検定の合格の為に、何の理論の説明も試行錯誤も無く、相互の関連性も無く、
TVの早押しクイズ番組の様に、問題とペアで、予め用意された正解。
考査や検定の前に、問題と其の答が、事実上、乱舞する。
「この問いには、これが答だ」「一言一句、このまま覚えろ」。
教諭が、内容を理解して居ない、そして、生徒に興味関心を持たせ、考えさせる演出が出来ない事の、誤魔化し。
【重要】判り易さの裏側
- (*8)
特に此の11年は、教育の独立性という御旗による、
組織として様々な部分で限り無くダークな勤務校の絡みも有り、
『知らない間に実習室の機器やネットワークが更新され、設定を訊いても、
全く教えて貰えなかったり(不具合が直せない)、
県商研、県高情研の公式文書を含む、校内外の文書や情報が主任から私には伝わらない』程度に嫌われながら、
他人が設定した訳解らない環境に対して口出しして全体を混乱させたくも無く、私も共犯者になりたくも無く、
船頭が多いのも好きでは無いので、若い此れからの教諭に任せ、表に出ず、
独り隠密に、離れた位置から、
若い此れからの教諭達を、横からアッチ突ついて、後からコッチ突ついて、
舞台裏でアレして、舞台袖でコレして、奈落で迫り上げて舞台廻して、など、
サポート、アシスト、フォローなどして、仕向けて動いて居た。
一部の人達にはバレたけど。まぁ、良いけどね。
県高情研の内部は、理事が単年輪番制に変更された10年程前から形骸化し出したのだが、
この5年程は、肩書だけの理事を相手にせず、若い此れからの人達が中心となり、
全高情研など外部とも情報を共有し、メンバーが皆で連携して頑張って居る。
此れからも大変だが、羅針盤を定め、確かめながら、今後の事は彼ら次第。任せた。
県商研の内部も、10年程前から形骸化が酷くなっていたが、
横着に明け暮れ、波に翻弄されて漂流状態。
耳触りの良い御題目で無く、具体的に何処へ向かいたいのか、其の為に何をどうしたいのか、
其れさえもどうでも良いのか。
全てが企画書と報告書の為だけ。粉飾、形骸化。今後の事は彼ら次第。
年次総会で横着な不正を指摘して、それで完全にシカトされたなら、
茹でガエルになろうが、後の事は私の関知する処では無い。
- (*9)
有体に書けば、その教科の知識が無い複数の教諭に県教委が臨時免許を発行し、
其の内の4人の教諭は、書類上、体裁上はその教諭が授業をして居る事にして、
実際は、無免許の私が授業をしている、残りの数名の教諭は、昨年度の考査問題のままに、
その教諭自身は何も判らずに独りで授業を「担当」している、という構図。
当初は9月だけ、の話が、10月末まで、11月末まで、と、済崩しで1カ月毎に延長される為、
授業の段取りが難しい。
私が絶望しているのは、学校側が、自身の横着と保身に徹し、
生徒に対するモラル、及び、コンプラ違反の意識が全く無い事。
今回の案件は正義であり、批判する事は生徒の学びの保証を否定して居ると脅して居る事。
今回は話が大きくなっただけで、同じ事は、実は前年から起きているし、
似た様な事は私が初任の大昔から日常茶飯事。県では常識。
此の「案件」については、以前より、私以外にも何人も影響が波及している事も有り、
其の事(抑々「授業」をしない私の所為にされて居る)も含めて、
私自身、精神的に極限状態なので、此処では、もうこれ以上は書かない。
流石に今回は余りの酷さに県教委からも学校へ、幾つもの(氷山の一角だけどね)、
恐らくは形だけの指導が入った様だが、
私は、令和6年9月初旬、学校側が、
「生徒の為」「裏ワザ」だと明言する、
本当に生徒の為を考えるなら私にとっては絶対に有り得ない程に欺瞞に満ちた其の内容と、
困惑している当事者全員を前に説明をした際の、あの嬉々とした(狂気に満ちた)顔の表情と声は、
脳裏にこびり付き、死んでも絶対に忘れる事が出来ないだろう
。
36年間、ずっと、思って居る。私が「授業」をする事が、生徒の為?
私が「授業」をした生徒は、初期を除き、全員、単位未履修だよ。それが、生徒の為?
違います。学校や教諭が横着し、自分の手柄にしたかっただけです。
- (*10)
まんがで知る○○の学び シリーズ(前田康裕 氏)。
- (*11)
以下、30年以上前から今も彼方此方で私が書き続けている比喩。
割烹で働く下っ端に先輩が曰く、
「俺達は客に河豚を提供する義務が有る。俺達はみな仲間なのだから、免許が無くとも河豚を料理しろ。
逆らえば不適格でクビだ。だが、客が毒に当たったら其れは料理したお前の所為だからクビだ。
俺達は全く関係無い。お前の代わりは幾らでも居る」。
客に褒められたら自分の手柄。客が毒に当たったら下っ端の責任。
実際は、
「河豚」「料理」は、授業だったり、部活動だったり、ICT機器だったり、ソフトウェアのコピーだったり、
其の他様々な単語に置き換えられるが、他の文言は実際に言われた言葉。
- (*12)
私の事だけに関して言えば、例えば、
『免許の無い私が説明をして居る授業を校長が公式に参観に来て
後で私に授業の内容の評価を付けて来る』
とか、
『只でさえ準備室に冷房が無くて辛いのに、隣の教室が、
校長の一方的な決定で、ひと夏、連日、終日、凄まじい大音響で、
平生の作業もリモートも全く仕事にならず完全に鬱になったり』
とか、
『勤務時間終了10分前、総務課の仕事や公式サイトの作業でアタフタして居る私に、
校長が「一緒に付いて行ってあげるから(←この時点で意味不明)
『何か仕事は有りませんか』と進路課にお伺いしろ」と命令して来る』
とか、
『発言者の所在も其の内容も対象者も出鱈目な公開文書』
とか、
『年度当初は口から出任せ、嘘、出鱈目、何時の間にか済崩し、約束は反故、何でもアリな校務』
とか、
『校務の出張が出張で無い』『年休で無いのに年休』など
とか、
『不正に加担しなかったから最低限だけの賞与』
とか、
『他人の文書は無茶苦茶厳しいが自分の文書は段取りを無視して通させる』
とか、
『訊く人毎に違う段取りの指示』
とか、
『授業によっては、教科書も貰えず、Classroomにも参加させて貰えない』
とか、
『ログイン出来る筈なのに変な制限を掛けられて仕事にならない』など
とか、
『何の根拠も無く、実際に起きても居ない盗撮の疑いを掛けられたり』など
とか、
其の他、精神的な苦痛、満載。
私以外の人の事に関しては、当事者で無いから書けないが、
幾人もの心を壊して、まぁ、何ともはや。
🌸
附記:平成版 実習助手のお仕事
ICT支援員などは、昭和・平成の闇を繰り返さず、
守備範囲を済崩しにせず、教諭とICT支援員とで上手く連携を計り、定着すれば、と、心から願う。
勿論、仕事が大変なのは、同じだが。
でも、全国の各学校では、教諭側にも、ICT支援員側にも、
平成を引き摺った、4象限マトリクス的な、色々な思惑が有るみたいですね。事例を収集中。
学校現場の教諭の心理を考える上で私が非常に興味深いのは、
私を「指導力が無い」と採用試験で不合格にしておきながら、実習助手として採用されれば、
最初から授業をする気が更々無い教諭と私とを
TT
にしたり、
時には知識も授業力も指導力もモラルさえも無い何処かのオッサンに教科「情報」の
臨時免許
を渡したり、と、大昔も昔も今現在も
経験した全ての勤務校に於いて、酷く差別的なマウンティングとして
組織的に日常の言葉や所作の端々に感じられること。
以下、全て、嘘偽りの無い、ノンフィクション、私自身の、複数の(=全ての)勤務校での実体験です。
ワークライフバランスだ、働き方改革だ、と、どれだけ表向きで綺麗事を並べ立ててみても、
教育現場の実態は、こんなものなのですよ。
時代が移り変わっても、人間の無意識な感情なんて、変わりませんからね。
此処に書けない様なパワハラ・モラハラ事例は、前後編の本が一冊書ける程度にストックが有ります。
特筆すべきは、それが決して一校の特殊な事例では無く、何処でも、同様の傾向が極めて強い、という事です。
組織全体の秩序と品質を健全に保ち、形骸化させない様に、若い此れからの先生達が、
意識して、少しずつでも、変えて行かないと、と強く願います。
令和の章になって、それが変化するのか否か。
それは、若いこれからの教諭達にかかっています。
(0).
過去、教諭達が私に対して「忙しいからこんな仕事して居られない」「これは教諭の仕事じゃない」
と実際に私に押し付けて来た項目をリスト化すると、授業を含め、教諭の仕事は、何も無い。
その間、教諭は、管理職の代わりにウソッパチの企画書や報告書を書くとか、
ゲームとか、競馬とか、は、していた様だけど。
助手の事を、生徒に対しても、「先生」では無く「さん」と区別して呼ぶ学校も実在する。
立場上は、間違って居ないし、私自身は其の事自体に対しては、気にして居ない。
しかし、其の実態は...なので、物凄く呆れ果てては居る。
(1).
ヒラメ主任が曰く、
「授業で使うソフトウェアをコピーしろ。教育の為だ、構わないのだ。
組合で懇親会をやるからゲームソフトもコピーしろ。教育の為だ、構わないのだ。
著作権侵害だから嫌だとぉ?
実習助手なんざ逆らえば不適格で直ぐにクビだ。
バレたらどうするだとぉ?
コピーするのは助手なのだから助手の責任だ。助手がクビだ。
俺達は関係無い。知らぬ話だ。助手の代わりなんて幾らでも居る。」
この主任に限らず、
「(自分が正義の)教育の為なら何をしても構わない」
「そうで無いのは人として有り得ない(人格否定)」的な「教育の独立性」を謳う教諭は非常に多い。
勿論コピーはしていないが、その為に、更なる卑劣なパワハラが...。
教諭は、自分達の私利私欲に因る権利には滅茶苦茶煩いが、プログラマや実習助手の権利はどうでも良いらしい。
大昔、Zaitが倒産した理由の一つ。
「働く仲間なのだから、俺の代わりに授業をしろ」も、日常的に良く有る。
続きは、上記と全く同じ展開。組合系の教諭に非常に多い。
(2).
基本、助手の授業はチームティーチングという表向きの体裁になっているが、
実態は、教諭は、来ない事が暗黙の前提、
偶に来ても、出席を取り、何の説明も無く「前回の続き!」と宣言して、居なくなる。
或いは、教諭が其処に居ても知らぬ体で崩壊状態の授業。何も判らない生徒の対応は助手。
チームの相手は、管理職本人か管理職の茶坊主、或いは肩書だけで情報が全く出来ない教諭。
時間割の二重帳簿なんて当たり前。複数校で日常的に体験済み。
茶坊主教諭
「校長が、『助手に授業も部活動もやらせて置いて、お前は何もしなくて良い』と言うから
授業担任も部活動顧問も引き受けたのだ。俺も授業や部活動をしなくてはいけないのなら、
校長に云い付けるぞ。」
→教諭は、授業も部活動も居ない。
---
茶坊主教諭(授業にも部活動にも出て来ない)
「勿論、生徒が国家試験に合格した成果を出したのは、俺だ。文句あるか。」
→管理職から推薦されて模範教諭になり、いずれは管理職に。
---
茶坊主教諭(私とTTの授業では無い)
「(日常は授業をサボって出て来て居ないから授業システムの操作が全く出来なくて
県教委視察のICT活用研究授業がグダグダになったのを)
全て助手がPCの故障を直していない責任だ。PCが故障していなければきちんと授業が出来たのだ。
あの助手は何も仕事をしない奴だ」
管理職
「早く直せ」
私
「(毎土日祝日盆暮れも無手当で片道30km終日出勤してPCの保守をしているから)
全然壊れてないんですが...」
管理職&教諭
「逆らえばクビ!!!」
---
教諭が(私とTTでは無い)授業中、例えば、
プリンタが(スリープでオンラインのランプが点いていなくて)印刷出来ないのを、
態々私を教室に呼び出し生徒の前で「故障している、授業が出来ないじゃないか」
と罵倒する様なレベルの事は、複数の教諭から、毎日の様に起きる。
自分が判らないのでは無く、助手の責任に因る故障だと言いたいらしい。
説明しても更に酷い言葉が返って来るだけので、私がプリンタのオンラインのボタンを押す。
(5)にも通ずる。
(3).
実習室のコンピュータの保守と言うのは、生徒が居ない時でないと出来ない。
つまり、基本、始業前、部活動後、授業や部活動の無い土曜日曜、祭日、盆暮れ正月、という事になるのだが、
それらの作業に対する手当や代休は、採用から定年迄、一切受け取った事は無いし、
そういった制度も無い(特殊勤務手当に当たらない、らしい)。
なお、私の場合、部活動に対する手当も、特殊勤務手当に当たらない、らしい。貰った事は無い。
私は(2)の様な責任転嫁をされるのが大嫌いなので、
採用から前勤務校迄は上記に当る日はほぼ出勤していたのだが、それでも(2)は日常的に有る。
更に、表向きは「助手は仕事をしない!」を公言しているが、
その実態は、教諭自身は、日常の授業に出て来ないだけでは無く、
私が上記の日に出勤している事を良い事に、
教諭が生徒に上記の日に学校で課題の実習をして判らなかったら其処に居る助手に訊く様に言い、
私には一言も無く、教諭自身は当然学校に来ない、といった事も日常茶飯事で、
その為に私の作業が大幅に遅れる、という事も、過去に複数の勤務校において日常的に起きている。
私がその日に学校に偶々居なくて生徒が質問出来なかった場合の苦情も私に来る。
勿論、生徒が検定に合格したなどの成果は全て教諭のもの。で、「助手は仕事をしない!」
これは、経験や伝聞として、決して一部の高校による例外では無く、
普遍的に、何処の学校でも起きている、と確信している。
また、実体験上、何処の勤務校も鍵の管理が凄まじく杜撰で、
裏では暗黙に教諭や事務が生徒に鍵を渡したり預けたりしており、
更に、教諭も生徒も基本的に機器の電源オフ、消灯、部屋の戸締りという概念が無いらしく、
その苦情は(教諭や事務は、自分達の怠慢がバレたく無く生徒には「話の分かる人」で居たいので)
全てその日に学校に偶々居なかった私に殺到し、時には窃盗の疑いを擦り付けられる。
つまり、総じて言えば、それが嫌なら、
土曜、日曜、祝日、盆暮れ正月も、朝から晩まで、手当は出ないが学校に居ろ、
助手なんざ逆らえば不適格でクビだ
、と、いう事。これは非常に重要な事なので覚えて置く様に。
(4).
時間割、成績処理、進路、各種印刷製本、同窓会の名簿、など、
ありとあらゆる課、科、学年の仕事において、「パソコンを使って」という言葉を前に付ける事で、
これは自分の仕事では無いと言い放ち、あらゆる仕事を丸投げして来る。
つまり、その内容に関わらずパソコンを使って行う仕事は全て自分の仕事では無い、助手の仕事だ、と、言いたいらしい。
或いは、自分がパソコンという道具を使いこなせない不都合は全て道具の所為にしたいらしい。
データでは無く、道具が主体。
この発想は、現在の、
「パソコン使うのは情報科」「プレゼンするのは情報科」「問題解決するのは情報科」へ、
更に、「適当にパソコン使ったら情報の授業」「適当にプレゼンしたら情報の授業」
「適当に調べ学習したら情報の授業」へ、
そして、令和のGIGA構想での、教科「情報」の教諭の負担増へ、通じている。
(5).
大昔、大規模な商業高校で、毎時限授業が終了する度に、点在する4つの実習室から、
「PCの電源が落ちていなかった!」「Wordの設定が問題集の図の通りで無かった!」
「壁紙が!」「アイコンが!!」「ツールバーが!!!」
「教室の灯が!」「窓が!!」「鍵が!!!」
と、教諭が入れ替わり苦情をタラタラ言って来るが、
それを休み時間10分間毎に全て元に戻せって非現実的だし、
苦情は前の授業担当者に言うか、実習室を使う担当者で相談すべきことだし、
そもそも授業中の事なのだから各教諭が指導すべきことで、この人達一体何を教えているのだろう???
あぁ、そうか、自分が指導出来ないから、前の授業の教諭にも言いたくないのか、という結論に至り、
呆れ果てた時期が何十年も続いていた。
例え、その後、復元システムが導入されたとしても、
根本的な、馴れ合い指導と責任転嫁の体質は、今も全く変わってはいない。
私に文句を言う事で、
「此れは自分が悪いのでは無い」と、周囲に、自分に、お互いにアピールして置きたいのだろうな、と思っては居る。
(6).
校内中のコンピュータ(40台~120台)に誰かのドジでウィルスが感染した際に、
「予算が無い!外部にバレたら不味い!!一人で直せ!!」と管理職から命令されたことも、複数校で有る。
勿論、教諭は知らん顔。
例え、黄金週間の全ての休日を終日使い一人きりでパンを齧りながら修理しても、
手当、軽減、一切無し。
(7).
大昔、管理職から各課に振り分けられたプロジェクトの作業が、
表向きは各課が作業を行っている事になっているが、
実は、裏では、各課で都合の良い様に仕様を変更し、各課から私に丸投げされた。
しかも、各課から投げられたものを突き合わせると仕様が全くバラバラで整合性がとれないのだが、
私が指摘しても各課主任は各課間で調整する事をせず、自分に都合の良い仕様を強制してパワハラ三昧。
名付けて「チリ地震津波現象」。
此方がどれだけ切羽詰まった段取りで作業をしていても、
勤務時間中は勿論、例えそれが休日であったとしても、
突然横から割り込んで来て、
「(そんな仕事なんてどうでも良いから)俺の私物のパソコンを直せ」
的な用事を強制的に押し付けて居なくなる事も、茶飯事。
成績の入力期限が金曜日の17時で、成績個人票の印刷期限が月曜日の8時という事は、何処の学校でも普通に有る。
例え私が教務で無くとも。勿論手当は一切無い。
私が予め「職員会議の後で」と準備し告知して置いた行事が、
職員会議で、前提として運営委員会で教諭が確認出来て居る筈の内容に対して長々、ウダウダと蒸し返し、
その結果、行事の開始が勤務時間が過ぎると教諭はサッサと帰る為、
私はもう一度行事をセッティングし直し、告知し直す。
(8).
「年休を取ったら当然評価を下げる、当たり前のことだ」← 私が居ないと自分が授業をしなければいけないから
「年末年始も学校で作業をしろ(手当は無い)」
「(上記の様な事に)逆らえば助手なんて不適格で直ぐにクビだ。」
「代わりの人間なんて幾らでも居る」
実際に、日常的に、何度も繰り返して言われて来た言葉。
決め台詞の「逆らえば助手なんざ不適格で直ぐにクビだ!代わりなんて幾らでも居る」。
この根強い超ブラックな学校現場の意識の所為で、
今は「(優秀な)代わり」が少なくなった気がする。
学校がブラックである最大の原因は、教諭です。
特に、上記の事例は、
日頃、自分の勤務時間には5分でも煩く騒ぎ立てる様な組合系の教諭に多い傾向が強く感じられる為、
組合も全く信用していない。※個人の体験です。
近年は、ネットワーク系の保守は遠隔で出来る様になり、
24時間体制で行えるようになった(している)が、
その作業に対する手当も、その制度も、無い。
(9).
或る年度末。『ネットが繋がらないから仕事が出来ない!
仕事を終わらせたいのに送別会にも行か
なきゃならない!どうなっているんだ(直ぐ直せ)!』
→ 異動する私は送別会に出席せず一人で対応、処置。異動しない前述の教諭達は
(行きたくもないが仕事だと思って仕方なしに出席する)送別会へ。
因みに、私は呑みニケーション宴会は大好きです。
(10).
生徒会執行部費の予算請求に自分の私用の領収書を付けて来たり、
清掃活動などの学校行事に自分が顧問の部員だけを優遇する、特活課長。
普通に何処にでも居ます。
(11).
1年間、半分の生徒への指導を完全放棄する教諭。直接的、間接的、パターンが有る。
(12).
とある「学校コンプライアンス」の実践事例2004
とある「情報」の実践事例2013
とある「情報コンプライアンス」の実践事例2013
教諭って、「教育の独立性」を振り翳し、各自が「自分が正義」「自分だけは特別扱い」な、烏合の衆なんだなぁ、と実感。
詳しい話は別の処で。